Hotel Rwanda& Lumumba

ルワンダにはまだ行った事がない。
 アフリカの中では小さな国だが人口密度は最も高く、盆地のようになって山に囲まれ、大きな湖がある千の丘の国と呼ばれた国だと聞く。2012年にコンゴ民主共和国(DRC)に行く前に、元UNHCRのゴマ事務所長(DRCのキンシャサに次ぐ第二の都市)だった米川正子さんに、キンシャサからゴマに移動して、国境に近いホテルから地上から国境を越えてルワンダ、南スーダンに入れるかを現地の事情を伺ったところ 、キンシャサからゴマへ飛行機へ移動するだけで、命懸けの国なのに、最も危険な反政府ゲリラの拠点である両国国境のジャングルを地上伝いに越えるなど、到底勧められないとのことだった。

 しかし、DRCからルワンダへの航空直通便はないため、一度ナイロビに移動して、ナイロビからちょうど自衛隊がいる南スーダンに入り、更にそこからも直通便がないので、ナイロビに戻ってからルワンダに入るとなると、パリからそれぞれの国に移動するのと飛行機代が変わらなくなる上、ナイロビでは当日乗り換えが出来ないために、一度ケニアに入国してホテルに泊まる必要があると言う。

 結局、その時には行けなかったのだが、確かにその年の終わり、反政府軍(M23)の反乱で、ほんの数日でゴマは(国連PKOがいるにも関わらず交戦権がないために)陥落したという。本当かどうかはわからなかったが、キンシャサとゴマの間には日本赤軍がハイジャックして北朝鮮へ向かった当時の国産飛行機YS-11が今も民間航空機として飛んでいるのだという、当然どの飛行機も整備が酷いために国内便に乗らない、と同国の日本大使館員がいうのも仕方あるまい。

 その上、現地の人は、かつての国連事務総長ハマーショルドが国連機で墜落死したこともあり、ハマーショルドの呪いだと言う(え?落ちたのはタンザニア方面なはずだが)。とにかく、このアフリカ中央の『闇の奥』では、そういう話しも冗談に思えなくなったるのだ。確かにキンシャサでも十分凄い体験をしたので、まあ少しは映画やドキュメンタリーが伝えられない事も想像がつくようになったが、ルワンダにも、南スーダンにも行けなかったのは、更に近年の世界情勢を知る上での貴重な機会を失ったようにも思う。

 2012年以降、ルワンダでは奇跡的な経済発展があり、今やIT先進国であるという。さては『ホテル・ルワンダ』参りには、もう遅いかと思ったが、それでもなお現地では、国連の国際戦犯法廷(http://unictr.irmct.org)は続いており、インターンに行った日本人の法学部女子大生に言わせると、とんでもなくいい加減な記憶しか証拠のない酷い裁判だったと、華奢な女の子も戦地を行き交うNGOの会合では、タフガイな口ぶりでその様子を平然と語るのだった。皆、緒方正子チルドレンというか、凄惨な出来事があった国ほど女性の方がたくましいし、女性をたくましくさせる土地なのかと思う。ただルワンダで真っ先に大量虐殺されたのは女性や子供であり、その白骨は未だルワンダの教会などに無数に祭られている。いや、弔いきれないためにあえて、そこにあるように思う。

 初めて行った広島市も、江田島から船で路面電車に乗り換えたものの、降り場を間違えて、広島赤十字病院(ギリギリ倒壊を免れた病院に無数の患者が集まった場所である)で降りてしまった。爆心地である原爆ドームまで徒歩で20-30分歩いただけで、何か悪寒のようなものを感じた。川のほとりにある小さな記念碑のようなものに何の記念日でもないのに、野花が飾られているのを見るだけでも、70年以上前の記憶がそこらに漂っているかのようなのだ。どの建物も殺風景なまでに近代的な建物ばかりが故に、何もかも一度無くなったのだという根拠を見るかのようだ。

 それに比べれば、ルワンダでどのように虐殺が起こって、それが再び起こらないなどと昔話に出来ようか。実際に映画『ホテル・ルワンダ』に出てくる多くの現地人は、現にその体験をした人々が出演している。それを知ったのは、メイキングが含まれた二枚組セットのプレミア版のDVDを観た後だったが、衝撃的なメイキングビデオだった。(私が観た最初の『ホテル・ルワンダ』は、フィリピンで買ったCD-TVだった。)

 さてとりとめの無い話になってしまったが、この二本の映画とキンシャサでわかったことは、第二次世界大戦以前からの植民地支配は、『 彼らが自分たちの意思で、社会をつくることの体験を無くしてしまっていること』だった。ベルギーの歴史学者が言う「ベルギーの国王レオポルト2世が奪ったのは過去だけでなく、未来まで奪ったのだ。」その意味は、貧しくても、関東大震災に遭っても、大正時代に西洋風の自由や文化に触れた記憶を元に、街を復活させようというイメージがあった日本の敗戦とは全く別質のものだったのだ。ベルギーが植民地時代や第二次世界大戦後につくったインフラを未だに使い、目の前まで来ているはずの光ファイバーをキンシャサに引けない理由は、その利権争いで本当の戦争が起こるからだと言う。その事を言ったお爺さんは、何とモハメド・アリとフォアマンの「キンシャサの奇跡」を中継した通信技師だった。アメリカの時差に合わせて真夜中に行った試合だったので、「本当に奇跡だった。試合が終わった途端に停電になったからね。間に合って良かった (笑) 」 

 今も、出勤時間や夕飯時には、数時間おきに停電するキンシャサでは、何度も何度もどの奇跡が起こるのだった。

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