TV Drama “Better Call Saul” and “Breaking Bad”

 人間は不平等に生まれてくるにも関わらず、他者との不公平感を容易に解消することは出来ない。

 例え、それが自分のアイデンティティに根ざしたものであってもである。『ブレイキング・バッド』の主人公は正義より家族を、やがて家族よりもアイデンティティにこだわり、全てを喪失することでストーリーを完結させた。『ベターコールソール』はどの役柄も家族や正義、会社や名誉、アイデンティティにこだわり精一杯生きているが達成感はなく、イラつきや不安に苛まされている。不仲な兄弟なら離れ離れで付き合いを閉ざせばいいものを、合致させようのない互いの人格を受け入れてもらおうと努力し続けている。

視聴者には、主人公ジミーの運の巡りの悪さばかりがユーモラスに映るだろうが、彼らのやるせなさが(悪意を伴わないものの)いずれ『ブレイキング・バッド』で凶悪な犯罪に結びつき、それを加速させ、暴走することになるのだ。それらの連関を考えると、このドラマは米国の社会規範をより不明瞭にさせる現代の<不正義の起源>あるいは<避けらればない悪行の正当性>を暗に主張する危険なエンターテイメントにすら思えるのだ。

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