“The War of the Worlds”

「市場の倫理」と「統治の倫理」の内戦

 SDGsのグローバルなコンセンサスでにおいて、ひとつ懸念しているのは、気候変動問題がある種の救心力あるいは数値目標となっていること。つまり気候変動への対応そのものが国家の功利主義的協調政策となって、<人類対地球温暖化現象>の枠組みをつくることで成立していることにある。残念ながら、アル・ゴアの『不都合な真実2』を見ると、あまり情緒的に温暖化現象にフォーカスしたプロモーションは、2030年時点の定量的エビデンスで、その効果が<弱い持続性>として過大に評価される可能性がある。その一方、一時の危機から逃れた逃れたお陰で、再び国家間の功利主義活動への反動によって、<強い持続性>の確立には失敗するのではという不安もある。

 その不安は、最近読み直したH.G.ウェルズの『宇宙戦争』に示唆されたものである。アントロポセンの時代、人間は自分たちが地球という閉空間での覇権がいとも簡単に崩れてしまうものだったことを思い知らされる。ただし、火星人の襲来以後の人間の矮小さを踏まえた上で、地球主義あるいは惑星主義的な経済学と倫理学を一から考え直す必要が出てくることになる。これは、人間が人間らしく生きられる環境の脆弱さを、もっと深く広く捉えることが重要だというメッセージが、この小説の中に込められている。1895年頃世界最強の軍隊を持っていた英国のロンドンを火星人が易々と壊滅し、パニックに陥った人々の理性があっという間に失われる様子を描くことで、H.G.ウェルズは100年以上前のSF小説で、その警句を私たちに与えてくれる。

 残念ながら小学生低学年の時に読んだ同名の本では、思弁哲学者で作家である主人公の独白や考察が省かれていて、こんなに奥深い作品だとは思っておらず、約半世紀を経て、原文を読み直したことになる。主人公が生き残るために、副牧師に見られる凡庸な臆病さ(終末論的逃避)を自らの手で殺し、運良く生き残った楽観主義者の砲兵のように焼け野原になった世界を一新させようとする一時的な熱意(戦後だけに立ち現れる根拠なきユートピア主義)を侮蔑する。それは、主人公をアントロポセン的視点として止揚し、世界を見る知見や視野を大きく拡張させる。この下りは、どうやら初版から手を入れること35年で完成稿に至ったという。

 一方、スピルバーグがトム・クルーズを主役で撮った映画『宇宙戦争』にはこのような深い思索は表現し切れていないものの、原作にない家族の成長や絆が付け加えられ、原作とは違った意味も含め、素晴らしい作品になっている。一見するとチャラい父親と離婚した妻に引き取られた思春期の兄と幼いが大人びた振る舞いをする年頃の妹との逃避行は、危機の中で突然芽生えた父親としての使命感、若い兄の地球や人類のために戦おうとする勇気の芽生えなど、破滅的で一方的に強い未知の生物との戦いの中で、人間は見苦しい死に方をせず、どう生きて、戦うべきかについて考えさせてくれる。

 環境主義は、良きエコロジストと悪い進化論者との単純な構図の戦いに見えるが、実は<統治の倫理>と<市場の倫理>をどのように止揚させるかの哲学的内戦である。地球人の目に見えて大きな脆弱性は、今そこにあるのではないかと考えている。明確な構図のない第二の冷戦を生きるわれわれは、今のところ地球温暖化という共通の敵を見出しているが、そのようなものがなくても「人間の安全保障」が守られる世界を創ることこそ、現世代の使命なのだと考えさせられる。

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